名作をポケットに

昨夜のこと。帰宅すると父が「伊豆の踊子」を見ていました。BSプレミアムで、百恵ちゃんと友和さんのやつです。
あぁ息子さんが声優さんと結婚したからだっけ。ちがいます。
映画が終わってから番組のお知らせを挟んで、「名作をポケットに」という番組が放送されました。先日亡くなられた大林宣彦さんが「伊豆の踊子」の舞台となった地を歩く番組です。2001年だかに放送されたものというテロップが入ったかと思います。
Wikipediaで「伊豆の踊子」を引くと川端康成自身が『伊豆を旅した19歳の時の実体験を元にしている』と説明されています。作品背景、作品評価・研究という項目に力が注がれているのね。
そこにも出てくる話で、踊子さんが野天風呂で素っ裸で「私」に手を振るというシーンがあってとても有名なシーンだそうなんだけど、大林さんがこの役は17,8の女優さんではなく13,4の処女でなければならない、とかいう発言をしていて、あぁ大林宣彦ロリコン説はここから出てくるのか、と思ったり。大人っぽく見えるけど子供なんだというところからくるのだろうけど、児ポ法ができてしまった今となってはこの法律が撤廃されるまで叶うことは無いお話になってしまいました。いやこの番組が収録された時点で児ポ法はまだない。物語の舞台は大正時代だし、踊子は幼くても行く先々で性的なサービスをして糊口をしのいでいるという先入観とかあったりしたのだろうかとも思ったり。ただこの踊子は決してそんなことをさせられたりはしていない生娘で間違い無いのでしょうけど。
何度も映画化されてきたのだけど、百恵ちゃんと友和さんの昭和49年の映画が映画としては最後で、そのあとはテレビドラマとして何度も。その最後は当時共同テレビの星田良子さんとゴマキのコンビで何作か連ドラを作っていたTBSが2002年正月のモー娘。のドラマスペシャルの一作として作ったものらしい。ゴマキの相手役は小橋賢児くん、「ちゅらさん」が終わった後ぐらいの時期だから適役か。当時の私は星田さんとゴマキのコンビのドラマなら見ているはずなのだけどこれは記憶がない。ゴマキが素っ裸でテレビに出るわきゃあないし。
それはそれとして、Wikipediaで「伊豆の踊子 (1974年の映画)」を読むと、ホリプロが最初に声を掛けた監督が大林さんだったそうで。大林さんは番組中でずっとこの作品を撮りたかったと話していたけど、このときは予定が合わなくて叶わず、そしてついに撮ることは無かったのですね。ただ、大林さんはグリコのCMで百恵ちゃんと仕事をしたことがあるそうです。友和さんもホントはオーディションで別の人に決まりかかっていたのを本作の監督になった西河克己さんが御破算にして、その方は別の役でワンシーンだけの出演にされてしまったそうな。その方は当時東大生だったのだけど後に『2005年のホリエモン騒動の際に、ライブドアの顧問弁護士としてブラウン管に登場した』のだそうです。西河監督が友和推しだったのはグリコのCMだったらしいです。百恵ちゃんについても制作経緯、興行成績の項を読んでいると、当時はさほど売れていたわけでは無く売り方に困っていて、西河監督が1963年に吉永小百合版で一度「伊豆の踊子」を撮っていたので他の作品よりやりやすいからやった、興行も全く期待がされておらず惨敗予想だったのに意外に健闘したという話のようで。百恵ちゃんはオリコン1位を4曲しか獲っていないのだけど、その初めての1位が「伊豆の踊子」がカップリングになった「冬の色」。人生どう転ぶか分からないねという話ばっかりです。このあと赤いシリーズ第2作「赤い疑惑」で再び百恵ちゃんと友和さんが共演し、結婚に至るわけです。
いちいち驚きながら番組を見ていて、最後にもうひと驚き。スタッフロールを見ていたら「NHK東北プランニング」という社名。なんで? と動転していると、番組終わりのクレジットに「NHK仙台」! これNHK仙台放送局が作ったことになってる。Wikipediaで「NHK仙台放送局」の過去の主な制作番組を見ても載ってない。番組のナレーションを担当した山本和之アナ(当時)のWikipediaページに「名作をポケットに(ナレーション)」を書いてあるのを見つけ、たしかにNHK仙台にそういう番組があったのだなという痕跡を見ることができました。