「いだてん」と東北

しばらく更新をしていないので、忘れられないように何か書かないと。

低視聴率にあえいでいるNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」。私が今季唯一観ている連続ドラマですが、まだ4話までしか消化できていません。
消化と言っても金栗さん、嘉納先生、美濃部さん(落語を始める前の志ん生さん)、志ん生師匠とあっちゃいったりこっちゃ行ったりするストーリーを完全に分別して理解しているわけではありません。HDDレコーダーの録画スペースを毎週空けなければならないのでそのために消化しているというのが現状です。
ストーリーが理解できないという批判は分からないでもありませんが、1回の放送を1度見ただけですべてを理解できなければいけないというのがそもそも無理があると思ってみてはどうでしょう。学校の授業を1度受けただけで定期考査で40点取れますか、取れてましたかと自分の胸に手を当ててみれb・・・そんなトラウマを思い出させるな! そうですか。それは悪かったですね。
視聴率が10%取れるかどうかなんて民放のクドカンドラマでは当たり前のラインなのですが、桁違いのお金がかかっているNHK大河ドラマでは製作費に見合った視聴率が要求されるのでしょうね。クドカンドラマは熱心なマニアが録画を繰り返し観て面白さを採掘していくタイプの作風だと思うんです。「あまちゃん」はマニアだけでなく一般にも幅広くブームになりましたが。日刊スポーツのwebでは大河ドラマの視聴者層は高齢者が中心だからという分析をしていますが、NHKのラジオ4月改編は『現役世代』をテーマにいわば高齢者のリスナーを棄てるわけですし、大河ドラマも高齢者は「ポツンと一軒家」でも見てればいいから「イッテQ」を観ない層をコツコツ開拓していけばいいんじゃないでしょうか。あっ「ポツンと一軒家」は面白いし大好きです。日曜夜に家にいて裏にスポーツ中継とか無ければそっちを見てます。

さて本題。
2月15日のNHKのローカルニュース「てれまさむね」。新聞のラテ欄に『「いだてん」に登場!宮城ゆかりの人物は』という見出しが出ていました。折よくこの日は仕事が無い日だったのでその特集を楽しみに「てれまさむね」を見ていたのですが、その特集は放送されませんでした。
昨日2月18日の「てれまさむね」のラテ欄に同じ見出しが出ていたので、たぶん昨日放送されたのでしょうね。
そのゆかりの人物はたぶん押川春浪(おしかわしゅんろう)だと思いますが、河北新報に彼についての読物が載っていました。2月5日付の18ページ文化面。仙台文学館が彼に関する資料を集めた緊急特集コーナーを設けているという記事です。記事はwebに上がっていないようなのでかいつまんでおきます。
春浪は本名を方存(まさあり)といい、1876年愛媛県松山市の生まれ。父の仕事の都合で仙台で育ち宮城師範学校付属小を経て東京の明治学院に進学するも退学、その後もさまざまな学校で入退学を繰り返したようです。そんな中、劇中に登場するスポーツ愛好団体「天狗倶楽部」では中心人物となりました。ちなみに劇中で彼を演じているのは百獣の王・武井壮さんです。そんな春浪はのちに『海底軍艦』など冒険小説やSF小説の書き手として少年少女の絶大な支持を得たのだそうです。
というわけで、仙台で育った小説家だったんですね。以下、河北の記事を書き写し。

 展示資料は小説「空中の奇禍」の自筆原稿や著名な野球人である弟清宛のはがき、天狗倶楽部の集合写真、きりっとした表情の肖像写真など。主筆を務めた雑誌「冒険世界」「武侠世界」などもある。
 母の霊前にささげた誓約書は署名の下に血判が押されている。東北学院を放校処分になるほどのバンカラで鳴らし、破天荒なまま駆け抜けた38年間の生涯をうかがわせる貴重な作品だ。

ちょっとかいつまんだときにぼかしましたが、押川という名字を聞いてピントきた方は敬虔なクリスチャン。春浪の父、押川方義は東北学院の創設者です。昭和61年上期の朝ドラ「はね駒」で主人公が学ぶ女学校のモデルは宮城学院ですがその宮城学院も創設している方です(Wikipediaを見るとその時の女学校の先生役は沢田研二さんなのね)。
そんなこともあって、東北学院のサイトでも春浪のことが紹介されています。
新着情報  NHK大河ドラマ「いだてん」の押川春浪に注目! | 学校法人東北学院
宮城学院のサイトにも出ています。
宮城学院からのお知らせ > 仙台文学館企画展「資料が伝える物語」押川春浪コーナーについて |学校法人 宮城学院
肝心の仙台文学館の企画展「資料が伝える物語」のリンクも貼っておきましょうね。
企画展「資料が伝える物語~2013年以降の新収資料から~」第Ⅱ期 |仙台文学館
元々春浪を取り上げる予定はなかったそうなので、リンク先には特段の記述はありません。仙台文学館と言えばどこにあるか分かりにくいことで有名なので、お出かけになる方はお気を付けください。
仙台文学館ってどこ?目立つ案内表示なし 「ガラスの仮面展」人気なのに…県外客、長時間迷うケースも | 河北新報オンラインニュース

「いだてん」からそれますが、先ほど引用した河北の記事に『著名な野球人である弟清』という語句があります。押川清をWikipediaで調べると、松山市ではなく仙台市の生まれ。早稲田大学野球部の出身で『1920年(中略)日本最初の職業野球チーム「日本運動協会」の創立に参加』とあります。最初って巨人軍じゃなかったんだ。「日本運動協会」は関東大震災の影響で消滅してしまったようですが、清はその後中日ドラゴンズの前身である名古屋軍(「名古屋金鯱軍」ではない)や後楽園イーグルス(「楽天イーグルス」ではない)の設立に関わったようです。正力松太郎らとともに第1回の野球殿堂入りメンバーでもあるのですね。

「いだてん」には直接東北に関わるわけでは無いですが、東北にゆかりがある人の御子息が出ています。
熊本県出身の金栗四三とともにストックホルムオリンピックに出場することになる三島彌彦はWikipediaによると東京府の出身。長兄は横浜正金銀行という戦前の大銀行の頭取(のちに日銀総裁にもなる)で、嘉納治五郎さんは彼が資金援助してくれたらいいんだけどなと思っていたようなのだけど世の中そんなに甘くないというところまで私はドラマを消化しました。Wikipediaによると彌彦は2歳のとき父を失っているのだけど、その父は『警視総監の三島通庸』と書いてあります。
三島通庸ってあの三島通庸か? と思ってリンクをたどると、あの初代山形県令の三島通庸でした。山形と福島の県境の栗子峠にトンネルを掘らせ萬世大路(ばんせいたいろ、現在の国道13号より前に使われていた道)を通した鬼県令です。もちろん東北人ではなく、薩摩藩士でした。
特集「三島通庸と山形県」三島通庸が関わった山形の近代化産業遺産 — 山形県ホームページ
山形と宮城の県境の関山トンネル(初代)も手掛けていたんですね。福島県令に異動してからも山形と会津の間の大峠道路(現在廃道状態になってるほう)をはじめ数々の大規模土木工事を推進し、その傍らで自由民権運動の弾圧に力を入れるのでした。栃木県令を経て警視総監となって東京に戻ってきたあとに彌彦が生まれ、通庸は病に倒れるという時系列になります。
「いだてん」で弥太郎(小澤征悦)、弥彦(生田斗真)兄弟の母、和歌子(白石加代子)は通庸の未亡人ということになりますが、この三島家の女主人は当時、人気小説『不如帰』の鬼姑のモデル(弥太郎の最初の妻を離縁させたそうな)として有名人だったそうで。まぁ白石さんらしいイメージの役だなと苦笑してしまうのでした。

ま、ナンダカンダ言っても宮城県で最も「いだてん」とかかわりが深いのは脚本家の宮藤官九郎さんなんですけどね(栗原市若柳出身)。