かぼちゃークラブ

拙blogはドラマレビューブログなので「おかえりモネ」を見なくちゃと思うのですが、私が帰宅して父が「ワースポ×MLB」を見終えて寝てから私が眠りに落ちるまでの間に15分の時間を取ることができない。♪眠らない体を、すべて欲しがる欲望を、大げさに言うのならばきっとそういうことなんだろう。大げさですね。でも眠い目をこすりながら見たのでは仕様がないのでね。1週間分溜めることになりそうです。
そして明け方にふと目が覚める。今日も今日とてあさぼらけ、でおなじみの「上柳昌彦あさぼらけ」の全国ネットパート。どうしても田村正和さんの訃報が話題になります。
私ぐらいの世代だと古畑の前に「うちの子にかぎって・・・」が上がるのでしょうが、私はこれは見ていなくてその後の「パパはニュースキャスター」にどっぷりはまったくちです。そんな世代に向けてか、上ちゃんが選曲したのはその「パパはニュースキャスター」の主題歌「Oneway Generation」。本田美奈子さんのヒット曲の一つですが、そこで上ちゃんの裏話。上ちゃんは本田さんとお仕事はしたことが無かったのだそうですが、その昔、本田美奈子さんの番組の相手役にというお話があったのだそうです。ところが直前になって相手役が別の方に代わったのだそうです。その人の名は…秋元康。俺は放送作家に負けたのかとがっかりした若き日の上ちゃんでした。
そんな番組を聴き終えてもうひと眠りし、いつもより遅く目を覚まし、聞こえてくる声が水曜なのに金曜の声だったので驚くわけですが、その件は稿を改めます。


さて、秋元康本田美奈子が出ていた番組というと「三宅裕司ヤングパラダイス」のエンディング前に放送されていた10分番組「かぼちゃークラブ」になるかと思います。
本田美奈子さんが表紙の三才ブックス刊「ラジオ番組表」、当時は「ラジオ新番組速報版」という書名でしたが、その1985年秋号を引っ張り出してみると表紙の顔の紹介にTBSラジオ文化放送の番組は載っているのだけど「かぼちゃークラブ」は書いてない。あれっ? Wikipediaで「本田美奈子.」の項を見ると1985年5月から担当していたと書いてある(TBSラジオ文化放送の番組は1985年10月スタートだった)。「KIDS IN TOSHIBA」という冠がついていたんだなぁ。「ヤングパラダイス」の項を見ると東芝提供枠だそうで『かぼちゃークラブ(秋元康。一時期、菊池桃子本田美奈子が出演していた)』だと。菊池桃子は出とらんだろう。
ヤングパラダイス」が三宅裕司さんの番組になったのが1984年2月、それまでは「♪完全無欠のロックンローラー」でおなじみの高原兄さんが担当していたらしいのだけどその時期のことは私にはまるで分からない。Wikipediaによると『ジャンケンマン』なる役で上柳アナ(当時)が出ていて高原さんの替わりに番組を進行することもあったらしいです。上ちゃんに本田美奈子さんと番組をという話が上がったのはそんなところから来ていたのだろうか。上ちゃんはのちに24時台に2つの生放送の音楽番組を担当することになります。
そもそも「かぼちゃークラブ」とは何ぞや、「♪カーマは気まぐれ」で知られる「カルチャークラブ」のもじりではないのか。そういえば東北放送ラジオにも当時「今夜は気まぐれ」という安田立和さんが女子大生と世間話をする番組があったけど、それと同じようなおじさん(実際はまだおじさんという歳では無かったろうが)と若い女性のトーク番組だったような印象はあります。
私が「ヤングパラダイス」を聴くようになったころ「かぼちゃークラブ」に出ていたのは竹沢るり子さん。字が合ってるかどうかは定かではない、ググってもこれといった情報も出てこない。いま思えば何者だったんだろうか。彼女に代わって本田美奈子さんになったのは覚えています。ただ、三宅裕司さんは当時菊池桃子の育ての親を自任していたはずで桃子さまは「ヤングパラダイス」自体にちょいちょい出ていたはず。逆に「菊池桃子 あなたと星の上で」に三宅さんの劇団スーパーエキセントリックシアターの人とのコントのコーナーもあったし。
秋元康本田美奈子さんの「かぼちゃークラブ」は半年しかやってなかったんだなぁ。1985年11月にこの枠は「おニャン子のアブない夜だよ」となり、おニャン子クラブが解散する1987年9月まで出演メンバーを変えながら続くことになります。これで秋元康本田美奈子さんの縁が切れるわけでは無く、wikipediaによるとこの番組きっかけで秋元康に詩を書いてもらうことになり「1986年のマリリン」の大ヒットにつながることになります。前述の「パパはニュースキャスター」の主題歌「Oneway Generation」も秋元康の作詞です。1987年のことになります。