(再掲)室根山に登る

FM PORT閉局にちなんで、一度聴いたというか受信したことがあったなぁと「はてなダイアリー」時代の記述を探してみたら2012年6月のことでした。
2012年6月24日、日曜日の朝のことで、岩手県一関市の室根山までドライブした時の話です。
気まぐれに当時書いたものを引っ張り出してみようと思いました。
今になってみれば間違いであること、当時の知見でも間違いでしかないことも書いてあるかもしれませんが、そのまま出します。
日記としては6月24日と25日の日付なのですが書き終わったのは7月に入ってからだったみたいです。

室根山に登る

(初出:2012年6月24日付)

まぁ登るったって山頂までクルマで行けるんだけど。
父が家を空けるのをいいことに深夜に家を出て県北の行ってみたい道路を周れるだけ周って来ようと思い立ちました。最終目標は県道上八瀬気仙沼線(r209)に通じる細尾林道です。
仙台バイパスをひたすら北上し…三本木も拡幅工事が進んでいますね。大衡村と三本木町(大崎市)の境の松並木もゆくゆくは拡幅の邪魔になって撤去される運命なんですかね。築館バイパスはがっつり右折路なんですね。あれは全通したらどうするんでしょう、やっぱり現道優先なんでしょうか。今は県道若柳築館線(r176)とぶつかったところで工事中。近いうちに国道398号までぶつかるはずです。
ここで右折して最近できた「みやぎ県北高速幹線」(r36BP)に向かいました。国道4号で築館バイパスへの右折路のちょっと手前に県道築館登米線(r36)への右折路があったのですが、これを通っていれば一直線に入れたみたいです。いちおう加倉ICという名前がついているようですが、表示あったっけ? 高速とありますから125cc以下お断りです。最高速度70km/hの片側一車線。早朝4時なのですれ違った車が4台ぐらい、大変快適に走れました。あっという間の8.9kmでした。
次に向かうは県道藤沢大籠線(r295)なのですが、ちょっとした気まぐれで錦桜橋を渡らず国道342号に左折してみました。ここも未踏破だったので。花泉町(一関市)に入って東磐井広域農道を走ってみることにしました。これも最近できた区間があったはず(私の持っている2007年版の宮城県の道路地図では国道456号との接続部分が建設中になっている)。上に立派そうな橋が見えるのだけどどこから入ればいいのかわからずしばらく迷いました。道路地図ではファミマがあることになっているのだけど、ない。
せっかく一関市に入ったので新しくできたコミュニティ局FMあすもに周波数を合わせる。「ロケットマンショー」は初めて聴いたような気がする。エロっぽい話もしているのだけど基本まじめ。いちおうロケットマンふかわりょうと別人格なんだっけ? しかし藤沢町に入ると聞こえが悪くなる。たしかここも一関市になったと思うんだけど。ひどい山の中というよりは高原リゾートなのねという印象。牧場とかホテルとか。快適な道。県道綱木黄海線(r188)とどこかで交差していると思われるのだけどよくわからない。最後に長いトンネルをくぐると終点。国道456号に入って宮城に戻ることにします。七曲峠の名のとおりの大変な峠道。ますますラジオの聞こえが悪くなる。県境を越えたぶんここが綱木黄海線の入り口なんだろうなと思われる場所を見つけるけど、降りたい。民家を見つけるまで長かった。
では改めて藤沢大籠線。これは基本岩手県道。新道を作る際にほんの数百メートルだけ宮城県にかかってしまったため、岩手県道155号から岩手・宮城県道295号に番号が変わってしまったという道である。いったいどの部分が宮城県だったのだろう。実のところよくわかりませんでした。朝5時を回って眠かったわけではありません。大籠といえば教会なのですが、道路が目的の私は寄らずに通過。国道456号、284号とひたすら走って室根山へ向かいました。北に見えた湾は陸前高田だったのでしょうか、大船渡だったのでしょうか。気仙沼ではないでしょうね。
山頂のほんのちょっと手前、きらら天文台で舗装道路はおしまい。アンテナがいっぱい建ってる。ケータイ用、パラボラ、八木アンテナ、まぁいろいろ。あとでWikipediaを読んでみたら一関市千厩町の山間の各集落に向けたギャップフィラーのアンテナがあったらしい。ひとつひとつこれが何アンテナでと鑑賞できるほどの知識を身につけていないので眺めるだけ。眺めるといえば山頂近くなるにつれてもやが濃くなり下界が見えそうになかったので車外に出るのはあきらめ…聞こえるラジオ局の調査。岩手宮城、AMは一部秋田の局も大丈夫。八戸はちょっと厳しめ。FMはなとらじのコールサインが聞こえたのもびっくりした。Radio3とか聞こえないのに。標高895mの独立峰なので遮るものがないからといって「FMPort traffic」と聞こえたときはビビった。だって新潟だよ、スカイツリーと同じ634mの弥彦山だよ。ちなみにFM新潟気仙沼災害エフエムと同じ周波数なので無理。
山を下り北に抜け国道343号、343号といったら道路地図がくるんとしてるところ、ループ橋です。ループを下るのは楽しかったけど、その後トンネル内の急カーブの連続にはおみまいされました。カーブが終わると右手に細尾林道の入り口が見えます。で入ってみたのですが、ちょっと行ったところで「通行止」、ジ・エンド。細尾林道〜上八瀬気仙沼線の踏破はまた別の機会に持ち越しです。問題のない県道気仙沼陸前高田線(r34)で気仙沼に入ることにしました。途中何度かJR大船渡線をまたぐのですが、線路に草が生えている光景は残念です。だからといっていつ復旧できるか誰にもわからないのですが。
気仙沼の国道45号は街中を通らないように山の中を大きく迂回するルートを取っていますので、たぶん被災地の邪魔にはなっていないと思います。と書いてみたところで、現道と旧道(現在は県道気仙沼唐桑線(r26))が合流すると一本道。ここまで津波が来たんだよなぁといたたまれなくなりながら車を走らせ、ふとあの建物はなんだろうなと思って、それが道の駅大谷海岸だと気がついたときは改めてショックでした。後で書く理由で津谷の町に入り、国道346号から途中県道馬籠東和線(r233)に廻りまた346号線、そして三陸自動車道に入って帰途に着きました。半日で300km。我ながらよく走ったわい。

やっぱり本吉災害エフエムがわからない

(初出:2012年6月25日付)

だめだ、眠くて眠くてずるずる来ているうちに7月になってしまった。まだ6月24日というていで書きます。
さっきも書いたとおり気仙沼近辺では岩手宮城のAMFM局がだいたい入感します。ただしカーラジオでアンテナを最大に引っ張り出した状態でのことなので、アンテナを引っ込めたら、ましてやポケットラジオならそうは行きません。
それで近頃私の興味は災害エフエム、正式には臨時災害放送局でしたか、それがどんな体制(態勢)で放送しているのかということにありまして、ひとつのコールサインで2つの放送をしている大船渡・陸前高田災害エフエム、ふたつのコールサインで1つの放送をしている気仙沼気仙沼本吉災害エフエム、登米災害エフエムの中継局と化している南三陸災害エフエムという私の邪推は正しいのかということを私の耳で確認したいという思いを持っていました。
なかなか局名告知を聞くタイミングはやってこない(たぶん時報直前ぐらいしかない)のでこの周波数で電波が出ているからここの災害エフエムだろうと思うしかないわけです。77.5だから気仙沼、78.5だから大船渡、80.5だから陸前高田という感じ。78.5と80.5で流れている音楽が違います。気仙沼は深夜も生活情報のアナウンスの録音を流し続けているとホームページを読んで知っていたので、これは間違いなく気仙沼災害エフエムだなと思えます。
気仙沼市内に入っても本吉災害エフエム(76.8、20w)が聞こえてこない。登米と周波数が近い(76.7、100w)せいなのかと思ったりもしていたのですが、南三陸(80.7、10w)はわずかながら聞こえている。これはおかしい。おかしいと思っているうちに旧本吉町に入ってしまった。なぜ聞こえない? これはおかしいと思い送信所があることになっている旧町役場、本吉総合支所に行きました。朝8時半過ぎのことです。そこでカーラジオでオートスキャンにかけるとピタッと止まるんです。でも無音。
気仙沼災害エフエムの生放送は10時からなのでもしかしたら10時になったら音が出てくるのかもしれない。ほかの局はとりあえず音楽をかけているのに本吉は曲をかけずに無音にしているということなのだろうか。邪推は簡単なのだが、気仙沼災害エフエムと異なり本吉災害エフエムはホームページを持っていないので、ホントのところがわからない。こう書くとメールするなり電凸するなりすればいいじゃねーかという人もいらっしゃるでしょうけど、一般局じゃなく災害エフエム局ですからね、向こうに余裕ができて開示してくれるのを待つしかないと思っています。
10時まで本吉に居られればよかったのですが、こちらにも帰宅する都合があるので…。9時から南三陸災害エフエムの生放送があるはずなのでそれを聞きながら帰途に着いたのですが、登米のスタジオから登米と同一放送、南三陸の話題はオープニングの数分で終わり、残り時間は登米の情報や広域ニュースなど。もしかして南三陸情報は平日のみだった? 
今度は平日に聴きに行かないとダメかな。今度といえば女川災害エフエムはいつまで放送休止が続いているんだ? 送信アンテナの移設に2ヶ月もかかるなんて考えられないのだけど、ほかに事情があるのかな。月並みなことしか言えませんが、頑張ってください。


追記:陸前高田の件、陸前高田には昨年12月にきちんとした陸前高田災害エフエムができ、大船渡災害エフエムの陸前高田向け送信所の周波数を受け継いだ形になったので、古い資料を読んでいた私には区別がつかなかったということです。私の誤解ということでした。

(※この追記までが当時の記述です。よって、文中の昨年とは2011年です。)