After7133

6月30日は2つのFM放送局がこの世から亡くなった日でした。
radikoプレミアムの料金を払っていれば後からでも聞ける、なんてことは無く、電波が止まると同時にradikoからも抹消されたらしいです。
ただ、ありがたいことに(法律上の問題はさておき)最期を録音してようつべに上げて下さる方が多くて、ある程度その雰囲気を味わうことができました。

まず正午に名古屋の外国語放送免許のFM局、RadioNEOが停波しました。
スポーツや映画など様々なものに手を出していて本業が何だか分からなくなっている木下グループの手にある東京の外国語放送免許のFM局、InterFMが名古屋に作った支局、InterFM NAGOYAが前身です。それは6年3か月前のことです。RadioNEOと名を変え単なるInterFMの名古屋支局ではない独自制作の枠を徐々に増やして行こうとしていたのだろうと思っていました。しかし大半の独自制作枠が昨年末に終わり、この春閉局を発表しました。
名古屋のことに詳しいことで知られるサイト、toppy.netのRadioNEO閉局に関する記事を読むと『2019年3月期に黒字転換』したと報じられています。ブログのエントリに綴られている一個人の見解を報じていますと書くのはどうかと思いますが、何かニュース風な書き方になっているので。てっきり聴取率が振るわず儲からないからさっさと店仕舞いしたんだろうと私は思っていたのですが、やっと年間黒字を出せるまでにこぎつけた矢先という見方もできるようです。2019年10月にNEOの社長がInterFMの社長を兼務する形になったとも報じています。NEOもInterFMも木下グループの100%子会社です。NEOの親会社はInterFMでは無いし、NEOはInterFMの子会社ではありません。
toppy.netでは何も言っていませんが、木下グループの経営方針としてNEOは畳むと決めた上での社長兼務だったのかもしれません(※これは私の憶測です)。toppy.netはNEOの独自路線を評価し閉局を惜しんでいるようです。
さて停波日。数少ない独自制作の番組は既に終了していたとかで停波前最後の番組は
『BUY NOW 竹内郁子, ねづっち 11:42 ~ 12:00』
だそうです。通販番組だったそうですよ。
だとしたら、ねづっちさんの前に書いてある名前は竹内郁子ではなく竹内都子ではないのか? 「まいどあり~」もしくは「旬!SHUN!ピックアップ」ではないのか? もう訳が分からない。
もうひとつ訳が分からないのは、当日の名古屋の新聞のラテ欄Twitterに上げていた方がいらっしゃるのだけど、朝日新聞のみ12時放送終了、他の新聞は終日いつもと同じ番組が放送されるように掲載されていたらしい。朝日新聞を購読していない人はこの日も夜まで番組があるものと誤解したかもしれない。こういうことを書くとラテ欄は朝日系の日刊・・・と嬉々として書き込んでくる人がいるとも限らないのだけど、それで済まされる問題だろうか。
そんな通販番組が終わった後、閉局のアナウンスが流れて停波したらしいです。


対して新潟の県域FM局、FM PORTは前夜というか当日未明というかオールナイトのリクエスト番組を組み、当日は朝から夕方までの各ワイド番組がそれぞれ最終回を迎えた後、夜8時から12時まで閉局記念特番。酒が入っていたという噂もあったりした、お祭り騒ぎのような番組だったらしいですね。ようつべで最期の10分間の前後を聴いたのですが、女性パーソナリティ(FM PORTではナビゲーターって呼んでるようですが)のバカ話のようなトークから「♪明日に架ける橋」に乗せてこの局で番組を担当された方々の最後の挨拶が流れ始めました。何でもないときでもこのイントロのピアノ伴奏を聴いただけで条件反射的に泣きそうになる曲なのに。挨拶が終わり、最後の局名告知。これ、さっきの二人が生で読んでた? ありがとうございました、とリスナーへの感謝の言葉で締め、やがて音が止まりました。
停波以後、FM PORTのホームページは閉局の挨拶が表示されるのですが、トップページのどのリンクをクリックしてもリンク先に飛ばずトップページのままという状態になっています。電波と同時にホームページも止まったんだよと示しているかのようです。
新潟県の各テレビ局の閉局を伝えるニュース動画も一通り見ました。最後を締めた二人のこともテレビ新潟と新潟総合テレビがそれぞれ取材していたのですね。NHK新潟はリスナーだった職人さんへの取材から愛された放送局だったことを伝えていました。県内各地から最後の放送を聴きたくて局舎前に集まったリスナーたち、というのは分かるけど、局への感謝を込めて花火をあげた人がいるというのは驚きでした。
FM PORTの正式社名は新潟県民エフエム放送。そんなに愛してくれる新潟県民のリスナーに支えられたものの、支えてくれる企業は現れなかったようで、よそからこの事態を眺めている身としては何とかならなかったのかなともどかしく思います。既存の放送局に飽き足らない、不満を抱えている層というのは必ずいるはずで、たぶんそれを掬い上げることはできていたのでしょう。聴取率的に既存の放送局とどれだけの差があったのか分かりませんが、新潟県の経済力では支えられなかったのかと残念に思います。


ところで、私は他所から残念だ残念だと書いているわけですが、これを鉄道でやると、つまり廃線になって残念だ残念だと、最後の列車の写真を撮るために駅のホームに押し寄せる人たちのことを「葬式鉄」と呼びます。
面白いと言ったら怒られるかな、こんなツイートを見つけたので紹介します。


元のツイートの源石和輝さんは名古屋の東海ラジオのアナウンサー。私と同い年だそうです。拙blogが「はてなダイアリー」にあった頃コメント欄でお世話になった方から当時の彼の番組「流石の源石」を紹介してもらって何度か聴いたことがありますが、結構本音でズバズバいう方だったと記憶しています。他局なのにTBSラジオ久米宏 ラジオなんですけど」の最終回でメールを読まれたらしいです。東海ラジオは当然CBCラジオやRadioNEOのライバル局ということになりますが、ラジオ局が潰れて残念だと言ってるだけではなく同業者として何とかしなければということなのだろうと思います。
そのツイートにツイートをしているMEGURUさんは名古屋のFM局ZIP-FMで番組を持っているフリーのディスクジョッキーの方です。ラジオ局にとってCMは大事なんだよというお話、このツイートはこのあといくつか続くのですが、私があまり良い印象を持っていないラジオショッピングに関して、違和感なく聴いてもらうためにDJは努力をしていることもつぶやかれています。

何が特別番組「これが宮城の新しい生活様式」だ、あんなのただの長時間CMじゃねーか、と毒づいてやりたいのを我慢して書かないでいるわけですが(ってここで書いてるじゃねーか)、そんなことを書いたら東北放送から苦情が来るのは当たり前です。何かしらの商品を宣伝しそれを買ってくれる人がいてまたコマーシャルをやる、そのCM収入でアナウンサーなどスタッフに給料が払える、そのために営業局員が一生懸命さまざまな企業を駆けずり回ってCM料金を払って宣伝してくれるところは無いか探し回っているんだ。
そんなことを知らないままだったら気軽に悪口が書けたのだけど、残念ながらそういう苦労を職業にしている人がいることを私は知ってしまっています。だからといって東北放送ラジオを存続させるために家を建てたり太陽電池を設置したりする余裕が私にあるかと言われても私には無いのです。誰かがこの番組を聴いてあの会社に家を建ててもらおう、あの会社の太陽電池を屋根に取り付けようと思ってくれたらいいなと願うぐらいしかできないのです。
立場を入れ替えて考えてみる。うちのCMの商品を買ってくれない奴はリスナーじゃ無い、って放送局に言われたらもうラジオを聴けない。そんなのは嫌だ、ラジオは聴きたい。じゃあ何か買って(ハート)。どうすればいいんだろう。
これは三才ブックス「ラジオパラダイス」誌が廃刊(一応正しくは休刊)になったとき、じゃあ廃刊にならないために私は何をすればよかったんだろう、私に何ができたのだろう、というのと同じ答えなのだろうと思います。が、それに答えられないまま気が付いたらちょうど30年経っていたことを今知りました。何やってるんだろう、俺。