ありがとうを伝えよう(1)

すっかりこのブログを続ける気力がなくなってしまいました。書くべきネタはいくつもあったのですが。
radikoタイムフリーを録音できるソフトを知ってからダウンロードしてTBCラジオの番組をあれやこれや録音しているんですが、聴くのが追い付かず。「tbcラジオ感謝ウィーク~ありがとうを伝えよう~」をやっと「サタディ・イン・ザ・パーク」まで聴き終わりました。そのことについては次のエントリで書くつもりです。
謝ったら死ぬ病という病がありますが、それになぞらえるなら私はありがとうを言ったら死ぬ病、病気というよりは感謝の心を身に着けずに育ってしまいました。親の育て方が悪かったわけではありません。他者に何かされても自分のやってることに邪魔するなという感情しか持てない子供だったのです。親や教師にいくら怒られてもそれは変わることがありませんでした。他者からしてもらったことにありがとうが言えるようになったのはいつからだろう、社会人になって私は満足な作業ができない、誰かの手を借りないと達成できないということを思い知ってからのような気がします。
実生活上の私の人格ではなくネット上の「みむめも」としての半生を振り返ってみたとき、ありがとうを言うべき方々は何人かいらっしゃいます。ただしいずれも実際にお会いしたことの無い、ネット上だけの関係の方々です。そのなかから二人、放送関係の方に感謝を述べようと思います。本当なら実名を挙げたいのですが実際にお会いしたことの無い方ですし一人は匿名で活動されているので名前が挙げられません。その点で頓珍漢な話になるかもしれません。お前いつもトンチンカンなことしか書いてないじゃないか。

仙台放送アナウンサーのリレーエッセイ「アナ・ログ」の今年最後の更新は佐藤拓雄アナウンス部長が今年放送された連続ドラマについて振り返っています。あぁ私はどれも見ていない。私が今年見た連続ドラマは「相棒19」、「ゆるキャン△2」、「おかえりモネ」、そして「相棒20」(19の最後と20の最初の石丸幹二さんが出る続き物になっている部分を除く)。本当にこれしか見ていないのか? 忘れているだけでもう少しあるのではという希望もしたいが、にしてもひどすぎる。これではドラマレビューブログを名乗れない。
22年前。佐藤拓雄アナはブログではなく公共の電波でドラマの感想を語っていました。フジ系のみならず他局のドラマも含めて感想を言い合ったり深読みしたりする深夜番組「ドラマニア倶楽部」(1999年4月-2000年3月)という番組を持っていたのです。出演は拓雄さんと本間ちゃん(本間秋彦氏)、当時局アナだった林佳緒里さんの3人。林さんはマニアではない普通の若い女性の目線から、拓雄さんと本間ちゃんはそれぞれのマニアックな視点からその時期放送されていたドラマについて語り合っていたのです。ただ、3人だけが語り合うだけではなく、番組の掲示板、BBSを開設して視聴者からの感想、意見を募集して紹介したりもしていました。
そんな番組の存在を知った私は当時PHSを持っていた妹にDDI POCKETのポイントでAir-H゛を調達してもらい.、仕事用に使っていたパソコンをインターネットに接続してその掲示板に書き込みをするようになったのでした。私がインターネットをやるようになったきっかけです、たぶん。
このちょっと前に無職だった時期がありテレビを見まくっていた私はこの頃も連続ドラマをかなりの数見ていました。それで掲示板に嬉々として書き込みを続けていきました。特に「彼女たちの時代」というドラマが放送されていた時期はその登場人物の一人に過去の自分を思い出し毎週のように自分語りの書き込みをしていたかと思います。今思えば恥ずかしいことですがその当時はそんな衝動に駆られていたのでした。
テレビ番組としての「ドラマニア倶楽部」は1年で終わってしまいます。しかし番組の掲示板はそれからしばらくの間継続しました。どうして続けてくださったのか分かりませんが、私は思うがままに様々なドラマの感想を書き込み続けました。やがて番組の掲示板が閉鎖されることとなり、感想を書く場を失った私はそれをブログサービスに求めることとなります。
そもそもどうしてこんな実験的な番組が生まれたのか。きっかけはミステリードラマ「眠れる森」。拓雄さんと同僚のディレクターが毎週のように感想や推理を語り合っていて、じゃみんなはどんな感想を持っているのか、どんな推理をしているのか、というところからこの番組の企画が出来上がったのだそうです。
というわけで、私ことみむめもが今あるのはその拓雄さんの同僚のディレクターさんのおかげということになります。拙blogがはてなダイアリーにあった頃に何度か彼について触れています。(参考:(再掲)仙台放送に関するものをいくつか - みむめもーど
ググってみたらフジテレビ系列のニュースサイト「FNNプライムオンライン」に裁判傍聴記を執筆されているようなので名前を出してもいいかとも思いますが、後で述べるもう一人を匿名にしなければならないので釣り合いを取るために名前は出さないことにします。彼が「ドラマニア倶楽部」という番組を作ってくださったから、そこにBBSがあったから私はみむめもとして活動することができました。
今は仕事のシフトの都合のせいなのか私にそこまでしてドラマを見ようという気力が衰えてきてしまい全くドラマレビューブログとしては機能していませんが、今までこのようなブログを続けて来られたのもあなたのおかげです。ありがとうございます。


ところで、前述のとおり今年は連ドラを「相棒19」、「ゆるキャン△2」、「おかえりモネ」くらいしか見ていません。単発物でも「教場」シーズン2とか「ペペロンチーノ」とか宮城県に絡んだもの(「教場」のロケに協力してたとかで「Mr.サンデー」で宮城県警察学校の特集をやっていた)が中心だったかな。「おかえりモネ」も舞台が宮城県で無ければ多分見ていない。途中話の舞台がテレビの朝の情報番組の天気予報になったりしたわけだが、その番組のメインキャスターがタイムマシーン3号の関太さんと元・東北放送アナウンサーの袴田彩会さんだったという点に驚愕したりもしました。袴田さんは今や日本で一番人気のあるスポーツキャスターになってしまったわけだけどその割にこの配役は話題に上ったのだろうか。日本で一番人気のあるスポーツキャスターの担当番組が地上波のスポーツニュースではなくようつべの配信番組であるということにもこれが時代なのかと驚かされるわけだが、話がそれてきたな。
モネが気仙沼に戻ってきてからの言わば第3部の感想を書いていなかったなぁ。舞台はまさかのコミュニティFM臨時災害放送局時代にお世話役だった市職員の役で山寺宏一さん。山寺さんは人の好い市職員に徹していたなぁ。いろんな事をさせればしちゃうだろうけどさせなかったところがよかったと思います。漁協の組合長役の菅原大吉さん、その他大勢の漁師役の伊達みきおさん、富澤たけしさんと宮城県出身者が多めでした。
震災にこだわらずお仕事ドラマとして見るならば、気象予報士とは何のためにあるのか、この資格を持つことで世間にどう貢献できるのかということを考える材料としてよい教材となるものでした。私は人のために何かをしたいという考えを持っていないので。私は地元を離れて外に出て何かで成功したいという野心も無いのですが、モネの仲間たちのうち明日美さんだけが東京でアパレルの仕事にまい進したり気象予報士を人気キャスターに育てたりしているのだけど、ほかのみんなは地元で働いている。地元のためにというのは震災の影響も大きいのかなと思ったりしています。
もちろん本作の根底にあるのは震災です。モネ自身の、また妹との間のわだかまりは発災当時モネが島にいなかったことに始まるわけですから。ただ、妹が水産試験場で自由研究に励んでいるのは純粋におじいさんや漁業の発展のためなんだと思っていたのだけどそうではなかった、津波が来そうなのにおばあさんが家から動こうとせずやむを得ずおばあさんを置き去りにして避難したことが妹にとってのわだかまりになっていたことが最後の最後に語られ、まさかそんな深層があったのかと驚きました。(モネのおばあさんは震災では無事で、震災と無関係に病死した設定になっている。)
私が最後まで謎に思っていたこと、何度かモネは帰省しているのにどうして「おかえりモネ」なのだろう。パンドラの箱もといサックスのケースを開けることで闇の淵から戻ってこられた、自身を取り戻したということで「おかえりモネ」なのだということで合ってる?
最後に『#俺たちの菅波』について。私のような性格の人たちが似たような雰囲気の菅波先生に肩入れして呼んでるのかなと思ったのだけど、何か違うような。気象予報士の勉強を絵本から始めたらなんて言ったときはバカにして言ってたんだろうと思っていたのだけど、おいおい彼は相手のことを真摯に深く考えてきちんとした結論を導く聡明な人間なのだと分かってきて、『#俺たちの菅波』の俺たちの中に私は入らないな、と思うようになりました。私も菅波先生のような人間になれればよいのだろうけどね、無理だわ。