TBCラジオ 石巻ウォーク

仕事の帰りに、行ってきました。
復興への歩みを確認 TBCラジオ石巻ウォーク
ラジオウォークは今年で35回目らしいですし去年は名取市中心部だったのですが、なんだかんだでこれまで一度も参加する機会が持てませんでした。
なかなか仕事が休みの日に自主的に石巻に行って歩こうという気力は持てない意気地なしなものですから、こういう行事があってうまい具合に予定があってくれたことはありがたいことです。
集合場所である石巻小学校の近くにあるいしのまき元気いちばでちょっと早めの昼食を済ませ、石巻小学校の校門をくぐると、ふ、藤沢さんがいる。
藤沢智子アナの歓迎を受け、受付のテントへ。参加者の証である缶バッジとこれから歩くコースの簡単なリーフレット、そして石巻の食事処のパンフレットを受け取りました。
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たしかに番組ホームページに『昼食のブース出店はありません。』というおことわりが書いてあったけど、ホントに何もない。校庭に受付のテント、技術スタッフのテント、参加者の待合所のテント。それだけ。受付を済ませた方々が結構いらっしゃる。それぞれに開始時間を待っている様子。
道中飲むための水を買いに近くの自動販売機を探し、買って戻ってくると校庭では野口美和アナが前説をしていました。そうこうしているうちに12時半になり、番組スタート。増子華子アナの号令で簡単な準備運動をして、日和山に向けて出発。と思いきや横断歩道の信号が赤になる度に止められる。私は受付番号200番台の列に居まして、先頭の列、100番台の列が横断歩道を過ぎてからの出発です。日和山への歩道は長い列になりました。
守屋周アナとガイドさんの説明をイヤホンで聴きながら、先頭はもうそんな先に行っているのか、と思いつつ周囲の風景を眺めながら登ります。日和山伊達政宗の居城の第一候補だったという話は初めて知りました。私の知識では第一候補は現在の榴岡公園で第二候補が青葉山だったと思っていたのですが、徳川家康がもし石巻への築城を認めていたとしたら、ひょっとしたら仙台藩ではなく石巻藩と呼ばれていたのかもしれません。北上川の舟運を重要視していたのは確かですし。
日和山からの眺め。よくバンデスのCM前とかに映りますが、実際に見るとまた感慨が新たになります。ここには何千人もの人が住んでいた町があった、ということがなかなか想像しにくいのですが、さすがに8年も経つので整地は進んでいます。北上川の河口近くには何やら大きな建設現場があります。どうやらポンプ場らしいです。現地の事を良く知っているらしい人たちが、あそこはあーだどこそこはどーだ、と話しているのに気がついて聞き耳を立てながら山を下りました。
下りた先にあるのは近日中に両端が取り壊され中央部分だけになる予定の旧・門脇小学校校舎。津波に襲われた上に火事にも遭って廃墟と化しています。周囲にはお墓が広がっていて、墓石にも新しいものや古いものがいろいろ、倒されてまとまって置いてあるものは供養する人が誰も居なくなってしまったものなのだろうか、など歩いている人たちの言葉が耳に入ってきます。
番組は? ところどころで伊藤晋平アナが石巻市内をレポートしているようです。旅のしおりには我々が歩くルートは載っているけど晋平ちゃんがレポートを入れている場所については触れられていません。radikoタイムフリーで聴き直さないと晋平ちゃんは何処から何故にリポートを入れているのか分からないな。
いしのまき元気いちばで一休み。対岸、いや中洲には石ノ森萬画館があって見渡しがよい場所。中学生のジャズの演奏を聴きながら参加者に振る舞われた牡蠣汁をいただく、いい一休み。ジャズと言えばトランペットやトロンボーンはよく聞こえるのだけど、コントラバスの低音はなかなか聞こえづらいもの。それに気づいてコントラバスにマイクを向ける増子アナ。さすがは「エンジョイクラシック」を担当していただけのことはある。
後半の行程はなかなかカオスでした。震災直後ぐらいまではアーケードがあったという通りや飲み屋さん街の合間の細い通りなど、普通に観光に来ていれば通らないだろうなという感じの道をグニャグニャと。鋳銭場(いせんば)という地名があるのは知っていましたが、その場所(跡地)は初めて見ました。立町通りの由来は横町に対して縦町、とか吉田松陰石巻を訪れていたとか、ところどころに説明の石碑とか看板とかがあって、さっき説明していたのはこのことなんだなと振り返りながら歩くことになりました。
石巻小学校に戻ってくるとエイサーのお出迎え。そういえば「ぼんやり~ぬTV」で沖縄から石巻にやってきた人の話をしていたような。晋平ちゃんのレポートの中にもあったけど、震災で人は少なくなったけど震災後に来てくれた人たちが交じり合って新しい伝統を作っていくことになるのでしょう。
番組エンディングで石巻高校出身の守屋周アナは石巻への思い入れの深さのたけを話しているのだけど、晋平ちゃんはどこぞかで何をか食べててこれからも別の場所で食べてきますという落差。晋平ちゃんはレポート先からの音声だけで姿を見ることができませんでした。どこかですれ違ったりしていたのだろうか。
番組終了後再びエイサーの演舞があって本日の行程は終了となりました。「家に帰るまでがウォークです」って言ったのは増子アナだったかな。三陸自動車道を安全運転で帰宅した時には日が暮れていました。いい一日でした。