日本製紙クレインズ廃部

12月18日にwebで知ったことなので12月18日のところにwebのタグ付けで書いています。
アイスホッケーリーグというのはサッカーに次いで2番目に歴史が古い(Wikipediaには「プロ野球」、サッカーに次いで3番目と書いてありますが普通社会人リーグにプロ野球は混ぜないだろう…)日本リーグなのですが、立ち行かなくなったせいか韓国のチームを加えたアジアリーグに発展しています(その件はあとで書きます)。
とはいってもアジアリーグの中心は苫小牧の王子製紙と釧路の日本製紙という北海道の2つの製紙会社のチームだったはずで、その一方が廃部にするという一報に衝撃を受けました。
IH日本製紙クレインズ廃部 収益悪化で経営合理化 - スポーツ : 日刊スポーツ
日刊スポーツのwebに載っている記事によると、本業である『主力の洋紙事業において著しい収益悪化に直面しており』とのことで経営合理化の一環として廃部を決定したようです。まぁよくある社会人スポーツの廃部と同じですね。
もちろん製紙業界のトップは王子製紙の親会社、王子ホールディングスで2位は日本製紙。戦前に王子製紙がでかくなりすぎて戦後解体され王子製紙本州製紙十條製紙の3社に分割されます。十條製紙山陽国策パルプと合併して日本製紙となり一瞬王子製紙を抜きますが、王子製紙本州製紙などを統合して抜き返します。
宮城県には日本製紙の工場が2つもあります。ひとつは石巻工場(1940年12月-)。東北振興パルプという会社の工場だったようなのですが1968年に十條製紙に合併されました。震災時に全従業員を直ちに避難させて犠牲者を出さなかったこと(工場は海沿いにあり壊滅的な被害を受けました)、その後急ピッチで復旧させる過程のドキュメントは本にもなっているし、ググれば出てくるはずです。もうひとつが岩沼工場(1968年10月-)。これは前身は大昭和製紙(だと思っていたらその子会社の大昭和パルプの工場だったようです)。2001年に日本製紙に統合されました。
その割りには宮城県十條製紙のアイスホッケーが話題に上ることはありませんでした。アイスホッケーができる施設が勝山スケーティングクラブ(仙台市青葉区)ぐらいしか無かったし、どちらかというとフィギュアスケートの下地を作って閉館してしまいました。もちろんここから巣立って行ったアイスホッケー選手もいたはずですが。
その後郡山市に本社を置くスポーツ用品店ゼビオが東北フリーブレイズというアイスホッケーチームを立ち上げますが、本拠地は八戸と郡山で、仙台で試合をすることはたぶんありません。ゼビオと言ったらゼビオアリーナ(仙台市太白区)という大きな箱をつくりましたが、こちらではバスケットの試合が中心かな(89ersの本拠地は仙台市体育館になっているがゼビオアリーナでも多くの試合を実施している)。ちなみにゼビオは八戸にアイスアリーナを建設中です。
なかなかオリンピックにも出られなくて(今回女子は出られましたが)注目度も上がりにくくて大変だとは思うんだけどね、頑張れって言われたって頑張れる限界もあるだろうし社会人スポーツである以上親会社が傾けば廃部にならざるを得ない。そういえば石巻工場の日本製紙硬式野球部が廃部という話は今のところ聞いていない。都市対抗野球に出場したりヤクルトスワローズに久古投手とか比屋根選手とか入って活躍するようになったのは最近のことだし、硬式野球はアイスホッケーほどお金が掛からないのかもしれない。
社会人野球は国内でしかやらないし都市対抗野球に出られればそれなりに社名が出る。対してアイスホッケーは韓国やロシアのチームとも試合をするわけだから当然海外遠征も多いのだろう。それもこれも国内のアイスホッケーチームが減っているからだ。
Wikipediaに戻ると、1966年に日本リーグが結成された当時のアイスホッケーチームは西武鉄道(東京・品川)、王子製紙(苫小牧)、古河電工(日光)、岩倉組(苫小牧)、福徳相互銀行(大阪)。大阪にアイスホッケーチームがあったのか! そして十條製紙はまだ無い。1966年は冬季五輪の札幌開催が決まった年だったようで、日本代表の強化のために当時強かった社会人チームで日本リーグが結成されたそうです。
『1972年に福徳相互銀行が廃部になったが、西武鉄道を分割し国土計画(後のコクド)を設立し、チーム数を維持した。1974年に十條製紙(現・日本製紙)が加盟し、6チーム体制となる。1979年に岩倉組が廃部となるが、雪印がチームをそのまま引継いだ。 』
Wikipediaに書いてありました。福徳相互銀行は経営悪化により1972年2月の札幌オリンピック終了後に廃部。相互銀行が普通の銀行になった際に福徳銀行となり、1998年に似たような立ち位置のなにわ銀行と合併してなみはや銀行となるも既に債務超過だったそうで1999年に経営破綻し現存していません。岩倉組は何で休部したのかな。今は女子チームペリグリンのスポンサーになっています。現在の苫小牧市長は岩倉組の創業家の家系です。岩倉組の本拠地は苫小牧ですが雪印の本拠地は札幌。その雪印は2000年に発生した集団食中毒事件の余波で2001年シーズンをもって撤退。2002シーズンは「札幌ポラリス」という市民チームとして運営されたのだけどやはり運営は難しかったらしく日本リーグから撤退してしまいます。
この時期はアイスホッケーの危機と言ってもよかった時代で、
『1999年には古河電工が廃部となるが、クラブチームHC日光アイスバックスを設立しチームを引継いだ。2001年には雪印が廃部となるが、クラブチーム札幌ポラリスがチームを引き継ぐ。しかし札幌ポラリスは運営資金不足などを理由に僅か1年で休部となり、2002年シーズンは28年ぶりに5チームでのリーグとなる。さらに2003年に西武鉄道が廃部となり、コクドに一本化されチーム数は4チームとなった。』
日光アイスバックスは何故かセルジオ越後さんが経営に加わっていることでも知られるプロチームですが何だかんだで気が付けば20年続けてこられたのに雪印の後身札幌ポラリスが1年しか持たなかったのはどうしてなんでしょう。まぁ人間関係とか何とか表には出せないようなことがあったのだろうなという見当は付きます。
国土計画のうさぎちゃんマークが懐かしい。堤義明という人物についてはいろいろありましょうが、ウィンタースポーツに関してだけ言えば大変尽力された方でした。日本リーグ結成に合わせて西武鉄道チームを作り、福徳相互銀行が廃部した際には国土計画チームを作ってリーグ規模を維持する。チームを割っても日本リーグ王子製紙西武鉄道、国土計画が3強でした(優勝経験があるのは初期の岩倉組と3強の4チームのみ)。
しかし2004年に西武鉄道株の名義偽装が発覚するなどの混乱で堤義明氏は失脚。西武鉄道とコクド(国土計画)、プリンスホテルとの関係が整理されていく中でコクド改め「SEIBUプリンス ラビッツ」はプリンスホテルの経営不振を理由に2008年シーズン限りで廃部となるのでした。ただし女子チームは現存しています。プリンスホテルと言えば社会人野球でも強豪チームでしたが2000年にすでに廃部になっています。
少し戻ります。何で西武鉄道とコクドは再統一したんだっけ? 何で日本リーグアジアリーグになったんだっけ? Wikipediaに答えは書いてありません。2003年はまだ西武鉄道を襲う数々の不祥事が明るみになる前です。アジアリーグ構想に備えて2チームを1チームにまとめたのかな。だったとしてアジアリーグが提唱されたのは何でだ? 私には調べきれなかったのだけど、2003年は4チームで日本リーグをやりつつその合間に韓国のハルラというチームを加えた5チームで第1回のアジアリーグを行ったようです。そして2004年は日本リーグも韓国リーグも無くなりアジアリーグに一本化されたようです。
プリンスラビッツが廃部になるタイミングで東北フリーブレイズが加盟。この2チームに繋がりはありませんが監督が同じだったりはします。そのほか中国やロシア、韓国のチームが入ったり抜けたりをしています。現在の2018シーズンは日本4、韓国3、ロシア1の8チームでやっているようです。ロシアのチームはサハリンにあるのですが、日本人って樺太には自由に行けるんだっけ?
実は十條製紙クレインズを通算して日本リーグで優勝したことは無く、初タイトルは第1回のアジアリーグ全日本選手権の初優勝は2006年と結果だけ見れば近年強くなったチームにも見えます。チームごと引き受けてくれる会社があればいいのでしょうがこのご時勢ですからあるかどうか。良い方向に進んでくれればいいのですが。